『そこにある山 結婚と冒険について』を読んで

読書レビュー

 探検家でノンフィクション作家の角幡唯介さんの『そこにある山 結婚と冒険について』を読みました!

角幡さんはグリーンランドからカナダにかけての極北と呼ばれる地域をメインに活動している冒険家です。本書はその極北地方の旅とその経験から感じたことをまとめた一冊です。

旅の本ではありますが、タイトルに「結婚」という言葉が入っている通り、序章ではご自身の結婚観について詳しく書かれております。

結婚したことによって、インタビューなどでことあるごとに「なぜ結婚したんですか?」と質問されることに違和感を感じていて、その違和感が結婚に対する自分の見方と一般の人の見方の違いから生じるとして言葉を尽くして語ってくださっています。

そもそも角幡さんにとって結婚とは『事態』なんだとおっしゃっております。

『事態』とは自分の意志でどうこうなるものではなく、これまでの自分の過去が一つの形として出現したものだから必然なんだと。

しかし、「なんで結婚したんですか?」と訊いてくる人たちにとっては、結婚というものが「意志で選択するもの」だという認識があるからそういう質問をしてくるのではないかと考えを深めて行きます。

結婚を選択として捉えている人たちは、結婚というものを人生が有利になるか不利になるかという損得勘定で考えている。そして現代ではそういう結婚観がマジョリティーなのではないかと。

「すべての物事に理性的に対処すべきで、そうできるはずだ」と考える現代人が多数派かもしれないが、そのような認識では人生そのものを本当には味わえないのではないかと角幡さんは続けます。

そもそも冒険とは自らリスクのある状況に挑んでそれを克服していく過程のことで、冒険につきものの不確定要素を確定要素に変えられた時、冒険者は生きている手応えや面白みを感じるのだと。

一方、冒険をしない一般の人々はリスクなどは望んでおらず、できるだけ回避・排除したいと考えているはずなので、そういった人たちは「結婚」=「最大のリスク」だと捉えているのではないか。

「なぜ結婚したんですか?」という質問には、「冒険者が結婚すると自由に冒険に出られなくなり、それは冒険者にとっては大きなリスクであるはず。なのになぜ結婚を選択したのだろう?」という合理的な考えがあるのではないか。

確かに、そのような合理的な考えに反論するのは難しいと角幡さんも書いておられますが、最初からできるだけリスクを回避するような行動ばかり選択していると、「自分以外の何ものかと本質的に関わるという経験」が生まれないといいます。

「本質的に関わる」とは「偶然を肯定し、受け入れる態度」のことで、この態度は冒険と結婚にも当てはまると。

『冒険も結婚も偶然性という不確定要素を肯定することで自分以外の何ものかと関わりあいをもつ営為であり、その意味で、双方とも関わりをつうじて真に生きることを経験するための行動だともいえる。この見解を少し敷衍すれば、人間が生きるということは、そのとき、その状況で発生した偶然を受け入れることだと定義することもできるだろう。人生とは、みずからの意志に関係なく降りそそいでくる偶然の火の粉を浴びながら進むことなのである。』(引用:P40-41)

いや、ほんとにそうだなと自分も思います!『偶然を肯定して生きる』 これ、すごく大事だなと30代後半になってよくわかるようになりました!

自然に『偶然を肯定して生きる』ことができるようになれば、もっと色々なことが楽になるだろうなぁと思います!

結婚のお話だけでなく、実際の北極探検のお話もとても面白いのでぜひお手にとってみてください!

そこにある山 結婚と冒険について (単行本) [ 角幡 唯介 ]価格:1,540円
(2021/5/1 12:01時点)
感想(0件)

Follow me!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました